ゴミ捨て場

脳がショートしたときに使います

わたしには名前がある

 私には名前がある。ついていても意味のないものだ。

 

私達は生まれた瞬間、親から名前を貰う。

それは「こんな子になってほしい」「こんな風に育ってほしい」「この漢字が素敵だからこの子にあげよう」。いろんな思いを込め、自分の子供に名前をつける。

愛を込めて、名前に込めた想いが実現するように、毎日大切に大切に呼ばれるのだ。

 

私は実の母親から名前で呼んで貰ったことがあまりない。

おい、とか。お前、とか。なあ、とか。呼ばれることすらなく蹴られたり物投げられたりもあった。

「どうして名前を呼んでくれないんだろう」そんなこと疑問に思った事なかった。それが普通であって当たり前のことだったから、疑う時間すら持たなかった。あの人は優しい母親じゃなかったし、私はあの人にとってかわいくない子供だったし。

言い聞かせるよう心を閉じる。

 

だけど大人になって、周りの人に自分の家庭環境や母親について相談する機会を何度か得て、その度に自分の母親は一般的とは違っていることを私は知ってしまう。二十年間の全てが、愛ではないことに気づいてしまう。

 

小学生の頃から住んでいた借家を出る日、結局最後まで私は名前で呼んで貰えず、悔しかった私は泣きながら母親につかみかかった。なんで名前を呼ばないんだ。ふざけんな。溢れる言葉が止まらない。

今まで勝てない・こわいと感じていた母親を、私はこの手でこの人を殺してしまうことも出来るんだ。そう思った私はなんだか全てがどうでもよくなった。

この母親に好かれなきゃ、機嫌を取らなきゃ。そう思う必要性を感じなくなった。もう愛なんていらないや。本当に、一瞬でいろんな事が頭によぎった。

 

バスを待つ間。バスに乗っているとき。何度も泣きそうになりながら、私は叔母の家に向かった。

もし時間が戻るなら、もう少し、名前で呼んで欲しかった。もう少し、暴力を振るったり怒鳴ったりしないでほしかった。もう少し、週末に飲みに行ったりパチンコしに行ったりしないでほしかった。もう少し、約束守ってほしかった。もう少し、いや、もっと、愛されているって自覚がほしかった。だけど願ったことが叶ったって、もう今更だ。本当に今更。もうすり寄ってこないでほしい気持ち悪いから。手遅れなんだよ、私達はもう親子にはなれない。私はあなたを愛してなんかない。

 

小学生のとき、中学生のとき、いろんな瞬間に自分の名前に込められた意味を知ることになる。私、自分の名前はそこそこ好きよ。捨てたいなあと思う瞬間たくさんあったけど、可愛いと思う。容姿性格共に劣った私に見合わないくらい可愛いと思うよ。漢字も名前の意味も素敵だと思う。

今でも覚えてる。授業で知った名前の意味も、授業で用意された母親からの手紙の字面とか、枠からはみ出すほど上手くまとめられてない文章も。思い出そうとすればまるで昨日の事みたいに鮮明。信じていたい。

だって、せめて、私に名前をつけたその瞬間の想いまで憎んでしまいたくないし。

言葉や態度で知ることはできなかったけど、これが

私についてるこの呪いこそが、愛だったって信じたい。

 

今でも誰かに名前を呼ばれると胸の真ん中辺りがちょっとぐじゅっと痛くなるけど、慣れなきゃいけないのかな。死ぬまで後をついてくるものだもん。しんどい。