ゴミ捨て場

脳がショートしたときに使います

わたしの呪いを解くには

 

 いとしいあなたの苗字が欲しい

 

 

  タイトルと冒頭の言葉、特に意味は無いけれどそれなりの言葉をいってみようと思って適当に書いてみた。これから先に続く言葉には何も関係ありません。なんて、そんなことはないかも。

 

  (全2,980文字)

 

 

 

 わたしの黒歴史。数えれば指じっぽんじゃ足らない。

 今から話すのはその黒歴史のうちの一つ、親から生まれた事について。

 

 人間、生まれながらある程度人生の流れが決まっていると思う。お金持ちの子供はそれなりの事がなければ基本的に周りから羨望されるような裕福な暮らしをしていくし、容姿端麗の人間は親からもらった美しい顔や恵まれた体型を活かし、SNSでバズって羨望され、それなりの人生を歩んでいく。

 

 錆びたレールを覆せるのはほんの一握りの人間で、わたしのような平凡にもなりきれない底辺の人間は変わるのが難しい。

 

 別のブログでも記載したが、わたしの母親はれっきとした“毒親”である。

 

 愛情を注がれたと胸張って言える事が記憶の中にないのでよく分からないが、わたしが今この世界に生きていること、それが愛情を生き移すものかと言われるとそうとは限らない。

 

 世の中には倫理という言葉がある。やってはいけないと強く教え込まれた為、誰もが漠然と「やってはいけないんだろうなぁ・・・」と抱えるもの。

 特に「人を殺してはいけない」ということ。それは当然のようで当然じゃない。すぐ「死ねば良いのに」とか「ぶっ殺したい」とか平気な顔して言うでしょ?でもやらない。それって仲間内でそうやって言って「ちょっと言い過ぎ~」とか言って『死んで欲しい』対象者を笑いものにしたいがだけの常套句に過ぎない。

 

 わたしの母親にとっては、愛ではなく倫理、道徳的な考えで子供を育てていると言っても過言ではない。

 

 世の中、その子の親だからと言って我が子を優先しなければならないなんて法律はない。だから母がわたしたちを無下に扱おうとも、愛を注がなくとも無視しようとも、生きてさえいれば世間や法は罰したりしないし誰も助けてなどくれない。

 暴力を受けようが暴言を吐かれていようが、愛されてなかろうが。

 生きていれば誰も気づかない。

 

 だけど、確実に子供の心は傷んでいくのだ。心がどこにあるかも分からないのにずっと痛い。

 

 人間は頭で考えるのか、それとも胸の中に感情があるのか、二十年間自分の体をもって実験しているが、未だに分からない。

 

 ありゃ、また話がそれたじゃない。

 

 

 わたしの実母は、少しおかしい。おかしいと言っても奇声を上げたり町中を全裸で徘徊したりなんて事はしない。

 

 母は自分が大事だ。それは生きていく上できっと大事な事だろう。自尊心ってやつ?だけど、自分の命を分け与えて産みだしたわたしや弟を決して大事にはしない。(だって自分の娘を“大事な娘”だと思ってくれているのなら、父親ときちんと夫婦の関係を終わらせてから付き合うだのセックスだのするでしょうし、そもそも浮気相手のことをわたしに惚気ようだなんて馬鹿な事しないわよ)子供なんて自分の分身と言ってもいいはずなのに。そう考えると母は、母自身を嫌っているのだろうか。

 

 以前別のブログでも記載したが母には恋人がいて、その恋人も頭がおかしく、わたしの家庭は壊された。その事について、恨んでいないと言えば嘘になってしまうけれど、もう何も思わない。 

 

 昔から、母はわたしより男を優先する生き物だった。その次に自分、最後にわたし。彼女は男好きなのだろう、愛されなきゃ死ぬんだろうな。

 

 わたしが十八歳のお誕生日、わたしは家でみんなで食事を囲めればそれで良かったのに、母のよく行く飲み屋に連れてかれ、自分のポリシーを押し通しわたしに飲酒させ、酔った母の痴態を目にし、知り合いの男達と抱き合い、結局は自分だけ楽しんでる母にいらだちを覚えた。気色悪いなって思った。

 

 子供の頃のわたしが話を聞いて欲しくても突き放され、大人になって出来た悩みや不安をわたしが話をしようとしても途中でかっさらって自分の話にすり替えてしまう。嫌な女。

 

 そんな母をわたしは申し訳ないけれど愛せない。世の中から見れば冷たい人間でしょう。実の母親なのに。優しく出来ないし、いつまでもいつまでも自分の“苗字”を呪ってしまう。家族なんだから、助け合おう。今まで育てて貰ったから恩返しをしよう。

 

 世の中血のつながりが美しいと感じる病気。蔓延しすぎている。

 

 親という存在は、子供が、どんなにひねくれていても悪者になっても、生まれてから先、何があろうとも我が子を無条件に愛すものだという話を聞くが、それはあまりにも美化されすぎていると思いませんか。

 子供にとっては親は何時までも親。だからどんなに相手が間違っていても反抗抵抗できず縛られてしまい、子供はいつも泣いている。

 

 わたしの母親は特にそうだったの。親の言うことは絶対、わたしが自我を持てば「てめえ親に向って生意気な態度取ってんじゃねえ!!」と怒鳴りつけるような人。支配しようとする。酔っ払ったらそれが顕著に出て、自分の子供〈持ち物〉が思うように動かなければ、殴る・蹴る・叫ぶ・怒るの連続。メンヘラなのかもしれない。

 

 わたしのメンヘラは母親仕込み。

 ただひとつ違うのは誰でも良いわけじゃないよ、愛した人に愛されたい。

 

 子供が何故そうしたいと思ったのか、分かろうとはしてくれなかった。何が好きで、何が嫌で、何が嬉しくて、何が悲しいか。きっとあの人は知らない。

 わたしはわたしの中で、この人に愛されていた・大切にしてもらった

 その物差しが一定基準を越えないと大切だとは思えないです。

 

 

 わたしは名前をたくさん呼んでくれる人が好きだ。母親はわたしを

 

 お前

 てめえ

 おい

 なあ

 としか呼んでくれなかったから。

 

 

 結婚がすべてじゃないことは分かっている。わたしも「男に求められる女に価値があって、女の幸せは結婚」みたいな風潮は嫌いだ。

 

 だけど、それでも、紙に書く度、人生を呪いたくなる今の名前を

 愛した人が愛している名前に変えられたのなら、きっと自分の名前を書く度に、

 ぽかぽかと、胸の中があたたかくなるんだろうなぁ。

 

 それは、確かに幸せなのかもしれないね。

 

 

 

 名前なんて呪いだ。呪縛だ。クソみたいな独占理由だ。縛り付けて動かさない。きもちわるい。気色悪い。汚い。親だからどう育ててもいいとか何言っても構わないなんて風潮消えちゃえ。

 

 自分の血を全部抜いて血縁者を選べるなら真っ先に母なんか捨ててやりたい。出来るなら、ブルーやピンク、キラキラオレンジの血を入れたい。もしくは星空みたいに、真っ黒やネイビー、海のような深いブルーでグラデーションされた血液の中にきらきらのお星様を浮かべたい。

 

 死んだら、わたしの事嫌っていた全てのみんなが美しいと感じるような、そんな死に様。

 

 わたしはわたしであって、他の誰でもないし誰の所有物でもないから気安く俺のものとか私のものとか言ってんじゃねえよ わたしはわたしのものだばーーか

 

 

 二十歳過ぎたいい大人だって、親のことで悩みます。

 だから、世の中の皆さん。好きなタイプに『家族と仲のいい人』と書くのはやめてください。

 

 

 わたしだって、家族がいれば仲良く出来たもん。

 

 

 

 人間がタマゴから生まれて、親も子供もお互い好きに決められたら良かったのに。